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箱庭の中で足りない自分の欠片を探し求める若者たち。
自分自身を切り刻み、異なる感覚を重ね、そこに生まれる快楽を楽しみ軽蔑する。
コラージュには客観性が必要だ。その客観性が箱庭を作品として昇華し、
その過程こそが、箱庭の外へ出る唯一の方法なのだ。

Q-TA
コラージュアーティスト

体とはなんだろう? 体が大きく画面に映し出されると、自分の体ではないのにゾワゾワっとして、考えさせられた。性別や肌触りやパートナーシップなんか超えていけ。ただ、体を世界にぶつけるのだ。

山崎ナオコーラ
作家

今年の東京フィルメックスではいくつかの素晴らしい映画に出会えた。中でも、その物語と映像が今でも私の中に鮮明に残っている作品がある。『空の瞳とカタツムリ』だ。演出と照明が素晴らしいのは言うまでもない。特筆すべきは役者同士のケミストリーが神秘的で、とても純粋なことだ。カメラを通して我々は、彼女たちの息遣いを見守る静かな証人となる。

アミール・ナデリ
映画監督

自分を愛せないのに、誰かに愛されようとして、誰かと交わる事で心を満たそうとして、そうやって葛藤しながら自分を探し続けて生きる…この映画はそんな2人の女の子の物語

フィフィ
タレント

登場人物たちのいびつさや不完全さが、切なくて痛々しくて胸をしめつける一方、このうえなく輝いて見える瞬間がある。まるで奇跡みたいに、魔法みたいに。

加藤千恵
歌人・小説家

危うさや矛盾の中で生きる男女の葛藤を通して、私も青春時代に感じた歯がゆさを思い出しました。恋したり不安になったり、苦しんだり人間ってそうなんだよなぁって考えさせられる映画でした

橋本マナミ
女優

長い長い詩の朗読を聞いているような物語に引き込まれました。
切なくて、優しくて、痛いほど愛しい詩。
観終わったとき、きっと誰かの体に触れたくなる。
それは男かもしれないし、女かもしれない、誰かに。

鈴掛真
歌人

映画というものは、誰かの覚悟を観るものである。それがそこにあれば全てでもある。
縄田かのんの、それを見せられた本作を観て、私は己の意気地の無さを痛感した。

リリー・フランキー

彼らの抱える、果てしなくて歪な穴。彼らの抱き合う姿はそれを埋め合うようにも、更に穴を広げ合うようにも見えた。擦れ合い、痛々しく火傷をしながらもそこで起こる摩擦の、ほんのわずかな輝きに救われる。すべてを共感できるはずもなく、だけど他人事とは思えない映画でした。

松宮なつ
女優

心と体、本音と建前、疑惑と信頼…
日々、他人とどう触れ合い、受け入れ、試されたり試してしまったり、
自分も他人もいつか許し合って生きていけるのか……
あなたは「自分の為に」「愛故に」どういう選択をしていくのかと試される映画でした。

野村麻純
女優

若者たちが愛し合い、傷付け合う、その様子は痛々しい。
何故なんだろう、どうして素直になれないんだろう・・・
という疑問は、彼らのカラダたちが答えてくれているように思える。
だから、最後には疑問は残らないで、彼らに想いを寄せている・・・
キレイなカラダが語っている、というのが分かる。
カラダ>芝居? 芝居>カラダ?
自分が撮った『ジェリーフィッシュ』よりエロいかも・・・
クラゲよりカタツムリの方がヌメヌメしてエロいのか・・・

金子修介
映画監督

少女漫画とポルノグラフィはとても近しいとわたしは思っていて、この映画の体験はまさにそう。

やまだないと
漫画家

普通になりたいけどなりたくない、
愛が欲しいけど手に入れたくない
そんな矛盾が彼女たちの中でうごめきあい
少し不気味だった。
でも、それぞれの持つ穴は熱く燃えていて
美しささえを感じられた。

駒井蓮
女優

君だけがかみさまで私だけが君をゆるせると信じていたかったことが、私にもありました。

上埜すみれ
女優

人間のセックスは変だ。動物ならただ性欲の解消で終わるところを、妙に複雑に精神化し、儀式化する。複雑なセクシャリティを持つ二人の女性主人公の姿に、セックスの精神的・儀式的意味を考えさせられた。そしてとてもピュアなさみしさがある。

谷賢一
劇作家・演出家

彼らの営みは、生々しいのに切なく遠い。その身体だけが宙に置いていかれるよう。独白は歩いた後の粘液だ。おかげで錯綜した日々からは滑り落ちることがない。

今日マチ子
漫画家

女性二役どちらにも共感できる部分があったからこそ、
途中まで観てるのがしんどかった…
ムジカちゃんの虚無感も、トモコちゃんの潔白で居たいと思う事も。
恋愛においても、動物としての本能としても、
切り離せない性行為が神秘的にも生々しくも感じられて面白かったーーーー

松田リマ
女優

ココロとカラダの距離が同じだと思ってた過去の自分を見ているようで、
胸がギュルギュルする瞬間がいくつもあった。

ミネオショウ
俳優

十百子が裸の鍵を取り出したカットが何故か響いた。
己の自意識の隅で棲息してる3人の男女の営みが、昔を思い出させてくれた。
あの頃のあの人は、もう輪郭だけで、もう取り戻せない時間だけど、この映画の功罪のお陰で、はっきりと感じ思い出せた。
つまり今、私はあの人に欲情している。昔のあの人と、映画の中の十百子に。

榊英雄
俳優・監督

人は皆、弱く脆いものだ。狭い世界の中で生きようとすればするほど壊れそうになる。そんな自分と向き合い、葛藤しながら日々生きている。
映画の中でありのままの自分をさらけ出す二人の女と詩を読んでいるかのような綺麗な言葉に魅了された。女って奥深い。

瀧内公美
女優

詩的な言葉と映像が積もって、終わった後、静かに長く、心が揺れていた。きっと、人を求め傷ついてきた自分の記憶に触れたんだ。

池田良
俳優

触れることで始まることと触れることで終わること。触れたいけど決して触れられないも のと触れられるけど決して触れたくないもの。それは、愛だの友情だのだったり、アパー トのドアノブだったり、見上げた青空だったり、あなたの唇や性器だったりするだろう。 触れることと触れないことが、触れたいけど触れたくないことが、この映画のアクション であり、エモーションとなる。そしてそれは、痛ましさからやさしさへと至る映画の時間 となる。監督・斎藤久志と脚本・荒井美早がおりなす触覚映画の傑作である。

安藤尋
映画監督

登場人物はそれぞれ作者の一部。傷つく原因も自分だし、傷つけているのも、傷つけられるのも自分だ。自分が自分であることが怖いのだ。迷い惑う心としての「脚本」に対して、「映画」が逃れられないように、身体を与えた。

坂手洋二
劇作家・演出家

心がないSEXなんてないと思っていたが、そうでもないみたい。
それでもこの映画には そこにあるシュークリームが弾け飛びそうなくらい情熱的で甘酸っぱい 女性 同士の深く美しい愛がありました。

辻凪子
女優

忘れがたいシーンがある。チラシに載っている夢鹿と十百子がキスをするシーンだ。触れ合うことによって、夢鹿は十百子の傷を癒そうとするが、自分の傷を癒されようともしている。傷に苦しむ二人が、何とか癒し合おうとする、とても美しいシーンだった。
現代に生きる人は誰しも心に傷を持っている。この映画は、そういった現代に生きる人間の傷を赤裸々に見せつけながら、同時に、美しく肯定している。

吉田浩太
映画監督

苦しくて傷付いて満ちなくて、でもあなたの事がまとわりつく。
取っ掛かりはR指定を期待してでも、なんだっていいと思う。
首根っこ掴まれたように彼女たちから目が離せなくなればいい。

土山茜
女優

若者は意味のない行動が許される特権を持っている。
無駄なことばかりやっていたあの頃を思いだしてキュンとしたいなら
絶対に観るべき映画です。

節丸雅矛
ニッポン放送プロデューサー